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まつこと歴史

2017年3月 4日 (土)

まつこ「花の乱」を見る

私はご周知の通り歴女の大河マニアですがこの花の乱が放送されていた1994年は海外に住んでいたため噂に名高いこの名作を見ていないのであります。
一度見てみたいなーと思いつつ何十年も経ってしまいましたが今になってこのドラマをきちんと見ようと思ったのはほかでもない萬斎様がご出演されておられるからであります。
この作品、萬斎さんが初めて出演したドラマで当時28歳。お若い。
しかもこのドラマ、当時異例ずくしだったようで、なんと放送開始が4月から12月までというなんとも中途半端な大河ドラマだったようです。
主演は天下の大女優、三田佳子さんで悪女で名高い日野富子を演じておられます。足利義政には故・市川團十郎さん、山名宗全に故・萬屋錦之介さん、若かりし頃の富子と義政にはこのドラマがデビューとなった松たか子さんと團十郎さんの御子息・海老蔵さんというなんとも豪華なキャストであります。
なんと申しましょうか、正直申さば主演の三田さんはもちろん素晴らしいのですが周囲のキャストがあまりにも濃いので三田さんの存在感が(爆)

これだけ豪華なキャストでそれだけで相当な話題になったに違いないのに実はこの大河ドラマ、かなり長いこと大河ドラマの最低視聴率をキープしていたようなんですよね。
この豪華な顔ぶれだけでも見る価値あるのになーと思っていましたら見終えてなんとなく納得。
複雑なんですよ、内容が。
登場人物の関係性もコロコロ変わるし1話飛ばしたらもうついていけないんじゃなかってくらいの。
しかも応仁の乱って日本の歴史上もっとも浅ましくイミフな戦いだったせいかとにかくあまり馴染みがないというか、歴史の授業で習ったのは確かなのにイマイチピンとこない時代なんですよね。
この乱は戦国時代へと突入するきっかけともなった、日本史上でも大きなターニングポイントとなった乱で、皆様も教科書で読んだことがおありかと思います。思いますけどどうですか、「足利将軍の後継者争いに当時の権力者山名宗全と細川勝元の対立が絡みそこに斯波氏・畠山氏の家督争いが加わり・・・」なんて言われてもこっちはお口ポカーン(゜д゜)になりませんか。まつこはなりましたよ。意味わからんかったですよ。
しかも途中で敵と味方が入れ替わったり、戦いの大義が変わってしまったり、傍で見ている方がむろんのこと戦っている連中も「あれ?俺今なんで戦ってるんだっけ?」って言い出しかねないような混乱ぶり。

でもそこが面白い。
なるほど、こうやって応仁の乱は発生していったのか、とか、こうやって足利将軍家は権威を失墜させていったのか、とか、よくわかりました。
しかもその背後に渦巻く陰謀というか政治的な駆け引きがとにかく面白くてハラハラドキドキしながら観たという感じです。
けどそこに至るまでには結構な辛抱を要求されます。応仁の乱が確か10話くらいから始まってましたから、それまでに視聴者の皆さんは「わけわかんなーい。つまんなーい」で途中放棄してしまったのではなかろうか。
ああ、もったいないsadこんなに面白い大河ドラマ、滅多にないのに。

戦うシーンだけじゃない、やはり日野富子という女性が主役だけに話の中心は政治の裏側、相当政治的なものも含まれます。
早い話ドロッドロに陰謀まみれなヤツですね。
騙してた相手に実は騙されていたとか、もののふの心意気はどこへやら、みんな自分の私利私欲を満たすがためにあちこちで画策するのです。
それがなんともいえず面白い。人間って愚かだなーって思うほどに。

そして主演の三田佳子さんがかなりよくてですね、とにかくお美しい。お美しいだけじゃなくて気高くて品があるshine
この三田佳子さんが悪女の代名詞である女性をどう演じるのかと興味津々だったんですが、実際見終えてみればホント酷い女でしたshadow
我が子を将軍職に就けるためにありとあらゆることをするわけです。こうしてみると応仁の乱を招いたのが富子であると言えるしその後の戦国の世を招いたのも富子であるといえる。
要はひとりの女の浅はかな欲望のために足利幕府がめちゃくちゃになってしまうのです。
なのに三田佳子さんが演じる富子の魅力的なことdiamondに騙されて「この人が天下に名高い悪女なんてウソだい!」と一瞬思ってしまうことも事実。
実際ドラマの中では富子は聡明で心優しい女性なのです。だけどひとたび我が子のことになると鬼になって人を殺すことも厭わないし戦を起こすことも厭わない。
けど母親ってそういうもんじゃないですか。我が子可愛さに将軍につかせてやりたいって思うのはなんにも不思議ではないのですが、この人が悪女と言われる所以は夫である足利義政を蔑ろにし、自分が政治の実権を握り、民の苦しむ声に耳を傾けず金を増やすことに専念してしまったというところに尽きるんじゃないかと思ってます。
旦那を大事にせず、政に口を挟む女というのは得てして悪女もしくは悪妻と呼ばれるのがこの国の女のサダメ。
でもやっぱり三田版富子を見てしまうとそんなことも忘れてしまうほどに優雅で気高いお姿。あれほど品のある女性を演じられる女優さんってそうそういないんではなかろうか。

そして何より語るべきは萬斎さんの日野勝元。
当時のこのドラマのレビューを見ると誰もが当時無名だったこの萬斎さんの勝元を絶賛しておられます。それほどまでに強烈な存在感なのです。
今萬斎ファンの私にしてみればなんら不思議なことではないのですが、当時無名だった萬斎さんを観た視聴者の方々は「誰?なにこの存在感!」と思われたに違いない。
当時若干28歳だった萬斎さんが敵対する山名宗全役の萬屋錦之介さんとタイマン張っても負けてないってのがなんともすごい話です。
だからこそこのドラマを見て改めて思う、本当にこの人は不思議な人です。
確かに能楽師として見ればイケメンな部類でしょうが、それほど飛び抜けたイケメンってわけじゃない。派手な顔立ちなわけでもない。
なのに人目を惹くというのは天性の俳優・舞台人としか言いようがございません。

途中までは萬斎さんheartと萬斎目当てで見ておりましたが、中盤からはドラマの行方に目が離せなくなっていました。これ当時だったら「なんでここで終わるんだよぉおお!」ってなって来週まで待ちきれていたかどうか。
とにかくまつこが観た大河ドラマの中でも異彩を放つ逸品であります。

余談ですが富子の息子、足利義尚を演じているのが当時まだ10代くらいであったろう松岡くんです。松岡くん、こうしてみるとやっぱりイケメンheart

機会がありましたら是非一度ご覧ください。
でも途中までは我慢が必要だってことはご承知おきください(爆)

まつこは次は太平記を見てみようと思ってます。

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2016年7月13日 (水)

まつこ「利休にたずねよ」を読む

花戦さを読んだ影響でなんだか利休についての小説が読みたくなりまして。
少し古い小説ですが友人がもっているというので借りて読んでみました。
なぜ読みたくなったかというとそれは利休という人ほど作者によって違う人になる人もいないとまつこ個人的に思っていまして、それは豊臣秀吉も同じことが言えるとは思うんですけど。
大体歴史小説って主人公が誰なのかによってそのほかの人々の描き方がかなり異なってくるもんじゃないですか。私の好きな武田信玄も新田次郎の小説と海音寺潮五郎の小説とではまるっきり違う人間のようにも思えてきますしね。
同じ事件でも「解釈」が違うということになるんだと思いますがそこが歴史小説の面白いところ何かもしれません。

で、この小説は利休が切腹を命じられる場面から始まり、過去を遡る形で利休の周囲の人間たちが一人称で利休を語るという、ある意味主人公が異なる短編小説を寄せ集めた作りとなっています。
だけど不思議と読み進めていくと必ずそこには利休についての共通のキーワードが浮かび上がってくる。
そしてなぜ商人である利休が切腹を命じられるようになったのかが理解できるようになるとこういうアンバイで。
ここで描かれている利休はとにかくスーパー芸術家というか、美に対して恐ろしいほどの慧眼を持ち、それに妥協をしないという感じです。
彼にとって美が全てでそれにふさわしくないものは見るに値しないとでもいいましょうか、とにかく今で言えばちょっと三島由紀夫っぽい。
理屈っぽくて粘着質な美へのこだわりというか、一歩間違えると変質者的ってゆーか(爆)正直まつこが一番苦手とするやつです
それを一番感じられるのが妻である宗易の章。
彼女はとにかくいつも利休の顔色を伺っているわけですよ。
家の中の家具の配置とか掃除の仕方とか花の飾り方とか膳の配置とか。そういうものひとつとっても利休の美意識に反してはいないかとビクビクしているんです。しかもね、当の利休は文句を言うでもないんですよ。いやまだ文句言ってくれたほうがよかったりする。
何も言わず眉を潜めて膳の配置を変えたりとかしてるんですよ。

イヤァアアアアアこんな男!。゜゜(´□`。)°゜。

こんだけ生活のなかにも美を求める人だもの、夜の体位とかも文句いったりするのかなとか、思うわね?

「これは美しくないっ!美しいとはこうや!こうやでぇ!fujiおらおらっ
*ここからはまつこの妄想副音声でお楽しみください

いや、ふざけてないっス。まつこいつも100%本気shine
だって美意識の高い人って性趣向にまであるトーサクした美意識があったりするじゃないですか。前述の三島由紀夫もそうですけどね。
まぁやんわりいうてますけど優れた芸術家って早い話「アブノーマル」好きが多い気がしますよまつこは。多分、いやきっとそうや



で、妄想はさておき本編に戻るとこの人の章がこの小説における「利休」という人のパーソナリティを一番表しているんじゃなかろうか、と思います。美に対する天才ではあるけれど神経質な気難しい男っていうね。
この小説ではその美に対する妥協のない性格が秀吉(というか石田三成)との対立を生むような構図になっているわけですが。
小説としてはかなり面白い描き方で、あらゆる人があらゆる視点からこの稀代の芸術家を評しているわけです。ある人は利休を嫌っているしある人は利休を尊敬してやまない、そんな立場も意見も異なる人らが好き勝手に利休を語るわけですから、読んでいるこっちとしてはかなり客観的に利休と彼を囲む人々の因果関係が見えてくるというわけであります。
面白い書き方ではありますけど短編小説集みたいな作りになっているから集中力途切れるんですよ。
読みやすいって人の方が多いとは思いますけどね、でもまつこは夢中で読みたい派なのでなんかイマイチ乗り切れない感はありました。

ちなみに歴史上から言えば、利休切腹の理由ってもっと政治的だったんじゃないかと思っています。彼の立場から察するに当時の政治に相当大きな影響力を持っていたはず。
なぜなら彼は当時のスーパースター的な存在だったわけで、彼とお知り合いであったり彼の茶を飲んだことがあるってことが当時のステータスになっていたわけで。
で、そういう人って政治家も呼び寄せるんですよね。だから当時もスターである利休を自分の手元に置いておくってことが秀吉にとっては天下統一を収めた象徴のようにも思えたんじゃなかろうか。
そして茶室というのが当時の武将たちにおける「社交の場」であり「取引の場」であり「密談の場」であったという、そういう意味からすると利休は今でいう人気高級クラブのママ的な立ち位置なのかとそう思うのです。ええ、どこまでも真面目ですよ。

で、この小説や「花戦さ」を含め、ドラマや映画では秀吉が感情的に利休を切腹に追い込んだという描かれ方をすることが多いですが私は秀吉はそこまでアホじゃなかったと思うんですよね。
しかも石田三成が秀吉の信頼を得ている利休を面白くないと思っていて影から画策したみたいな説も、それも秀吉は側近の言葉に惑わされてオキニの茶頭を殺すほどそこまでアホではないと(ぱーと2)
考えてみれば一挙に権力者の信頼を得ている人間がとにかく危険なのは今の時代も変わりません。そういう人間はあらゆる思惑によって押しつぶされるであろうことは想像に難くないわけであります。しかも恐らくこの方色んな大名たちの外に出したくない秘密を知っていたんだと思いますよ。居並ぶ大名たちの弱点を握ってるわけですからそうなると利休は爆弾そのもの。皆が利休排除に画策するのも納得です。
しかも利休なんざ単なるイチ商人なわけですよ。単なる高級クラブのママなわけですよ(まだ言うか)大名でもなんでもない人間が秀吉の一番近くにいて秀吉の耳元で囁ける距離で話ができる。なのにそれがボンバーマンとくれば

そらぁ排除されますよ。皆が束になってかかってくるでしょう。

そういう意味では今放送中の大河ドラマ「真田丸」で桂三枝さんが演じていた利休が多分一番私の思う利休に近いような気がします。根っからの商人で、交渉ごとに長けていた。これを「フィクサー」と称していた方がおられましたがまさにその通りかと。それを利用してあれこれ儲けようとしたけどゴウツクすぎちゃった☆彡みたいなね。

こういう利休の描き方はなかなか見たことがないので、真田丸はそういう意味でかなり面白いです。豊臣秀吉という人物の描き方も私が思う秀吉像に一番近いですしね。
この辺私は脚本の三谷幸喜さんは相当文献を調べたんだろうなぁと感心しているところなのでありますが。

利休の切腹に関しては確たる理由とそれを裏付ける証拠が不足しているので、専門家の間でも諸説あるようです。真実がよくわからないからこそ利休話は想像の余地が膨らんで、小説や映画やドラマの題材として面白くなるんだと思います。
そんなわけでこの小説で見える利休はあくまで我々が想像する利休像のひとつであるには違いないのですが、それでもなんだか妙に説得力があるので「もしかしたら本当にこの人はこういう人だったのかもなー」と思わせるものがありました。

今度は違う視点からの利休のお話も読んでみたいなーと思いました。
映画も見てみようかな。

2016年5月27日 (金)

まつこ「花戦さ」を読む

Hanaikusa

文庫版が出たんですって。それをきっかけに買ってみました。
普段は映像化されると分かっている話の原作を先に読むことはまずないです。でも今回は特別☆とにかく映画が楽しみで仕方ないしそれにどんな話なんだろー!という興味の方がむくむく膨らんでしまいましてね。
で、今回先に読みました。読んでいるとどーしても脳内で萬斎さんと浩市さんの姿が思い浮かんでしまって仕方ない。
いやもうその2人の姿固定で読んでましたね!そこに克美さんも入れてみる
読みながら「このシーン見たいっ!」「ここは是非とも映像化して欲しいっ」って場面がいくつもあって余計に映画が見たくてたまらなくなった。逆効果
ということでまつこのいつもの腐った感想、よろしければお付き合いください。

このお話は花道と茶道というそれぞれの道を確立した池坊専好と千利休の友情がメインとなったお話であります。
時代は戦国も終を迎えようとしていた頃、時の権力者・秀吉の言いがかりにも近い横暴によって切腹を申し付けられた利休と、彼への弔いを刀ではなく花でもって仇討ちする専好。大雑把ですがこんなお話です。


本を読んでまっ先に感じたのは

これはもはや・・・

戦国時代のボーイズラブ☆

この本も映画も間違いなく腐女子ホイホイとなりますでしょう。
そう書くとふざけてるように聞こえますけどそうじゃないんですよ。え。違うのか。我ながら
ちゃんと理由があるんですよ。
私の個人的見解ですけども、世に言われているボーイズラブってね、あながち間違ってないんじゃないかって思ってるんです。
男同士の友情って有り体に言えば肉体関係のない男女間の恋愛diamondと似ている、というか同じだとまつこは考察致します。またエロかよannoyという感じでアイスミマセン。
男はこれ言うと強く否定しますね。まつこの某友人は「わかってねぇ!」といつもこれを否定します。
「アンタこそわかってないね!ってか気づいてないんだ!認めたくないんだ!ぎゃいぎゃい
「男の友情ってのはそんなもんじゃないんだよ!」「すいませーんビールおかわり」←無視


この水掛け論をかれこれ20年程続けておりますが。成長しない2人。
でも女にはそれ(=男が言う男の友情)がわからない、というか理解できない。
そりゃそうですよ。男の友情とか言われたら女からすると女の友情と比較するじゃないですか。でもどーも女の友情と毛色が違うって気づくわけですよ。なんか違くね?それなんなの?友情じゃないでしょ?だって女子はそんなことしないしそんなこと思わないよ??
頭の中クエスチョンマークと疑惑でいっぱいなところに素直に「ああ、こいつの言ってる友情って=肉体関係のない男女間の恋愛なんだ!」と置き換えてみてください。あら不思議合致するわぁ
というかそう考えた方が理解しやすくなります。同時にイラっともします(爆)
まぁ肉体関係と書くと即物的になってしまいますけど、もう少し広い意味で言えば性欲の伴わない恋愛関係とも言えなくもない感じでしょうか。
それに限りなく近いのがボーイズラブなのかな、と思ってるとこういう訳です。まぁこちらは体の関係ありまくりですけれども、でも決してゲイとかホモという言葉とは非なるものなのです

ちょっと極端な話ですけどそれくらい男同士の深い友情って女には理解しがたいものがある。それは女性同士の友情と似ているようで全く異なるもののようにも思えます。

で、遠回りしましたがこのお話の中でもそんな疑惑を呼びそうな場面がいくつもいくつも出てくるもんで、「あれ?この二人できてんの?イノセントラブ?」って本気で思いました。
例えば本能寺の変が起きたとき、信長の茶頭となって側に仕えていた利休を案じて食事もろくに取れずに気落ちしている専好とか。
例えば利休が大阪から専好の住む京都にやってきて「専好ちゃんに会えるかな?会いたいな」とウキウキしてたりとか。
利休が秀吉とあれこれあって蟄居を命じられ、死を覚悟したとき「専好ちゃんに会いたい。癒されたいよぅ」と思ったりとか。

え。できてるでしょうこれは(=男の深い友情と訳してお読みください)


いや腐ったことばかり書いててすいません。でもこの2人に関してはもはや男同士の友情との一言では片付けられないものがある。よく魂と魂の結びつき、なんて言葉を耳にしますがそれがどういうものか正直これまでの私にはいまいちピンと来ていませんでした。
でもこのお話しの2人を読んでいるとほんの少しだけその言葉の意味がすこぉーし理解できたような気がしてきます。
茶の道と花の道、全く違う道を歩む2人だけれどその道を突き詰めればどんな道でも同じ場所にたどり着く。それをこの2人は知っていて、同じ場所を目指している同士であるとお互い理解しているからこその安堵感、ツーといえばカーの心地よさがこの2人にはある。それが2人の結びつきを強くしているのだと思うのです。それを現代人がBLや~!ととってしまっても誰が責められましょうか。
このお話を読んで感動したのはそこでした。正直読んでいるとかなりキツイ場面が多々あるのですが、読み終えた時に後味の悪さはあまりありません。
でも実際史実にあったことなんでしょうか。
そのへん私はわからんのですが、確かに文献などを見ると利休と専好が多少なりとも交流があったような記述は残っているようです。時代的にもそれは何らおかしくなくて、むしろ交流がなかったことの方が不思議に思えるかもしれません。ただここまでの仲であったかというのは本当なのかな?
でもこのお話を読んでそうあって欲しいな~と強く思いましたけど。
誰か調べてくれないかしら。私は無理です(爆)

ただこの本、歴史の小説にしては薄いんです。
最初手にとった時その薄さに驚き、少々嫌な予感もいたしました。
そもそも歴史小説って分厚いものが多くて、それは時代背景やら習慣やらを読者にわかりやすく説明していく必要があるためで、それを追っていくことで読者はようやくその世界感に無理なくダイブできるもんだと私は考えているのですが。だからどうしてもページ数がかさんでしまうのは避けられないはずなんですけどこの本はその厚みがない。

実際読んでみたらやっぱりそのあたりをバッサリ切られた感は否めない。
でも逆に気持ち良いくらいバッサリ切り捨てているのでむしろ読みやすいと言えば読みやすいです。むしろ歴史小説ではないとの見方もできるかもしれないから歴史が苦手な人でも抵抗なく読めるんじゃないでしょうか。
昨今ではこういう本の方が受け入れやすいのかもしれません。

・・・とここまで終電に揺られて電車の中で必死こいて書いてきました。
隣の酔っ払いがもたれかかってきてうっとおしいので今日はこの辺で。
機会があればぜひ読んでみてください。
って散々腐ったこと書いててむしろ読む気なくしたら申し訳ないデス…

2016年4月 7日 (木)

まつこ武田信玄に沸く

今大河ドラマの武田信玄が再放送されています。多分真田丸の関係で再放送しているのかもしれません。
・・・これ書きたかったんだけど長くなりそうだしずっと仕事が忙しくてそれどこではなかった。
このブログの一発目に書きました通りこのドラマは私の人生を変えたドラマなのです。
なんてったって志望していた学部を変えたんですよ(爆)
それまでずーっと英文科志望でした。でも武田信玄が私を今で言う歴女に変えました。
しかも年間放送されていたものを見ていたわけではなく年末の総集編で落ちちゃった、短期集中型です。
だから1話からちゃんと見ていたわけではなくて、今回の再放送が初めてじっくり観ることになります。(というか過去何度か再放送しているようなんですけどね・・・)

余談ですが同時に中井貴一ファンにもなりましたー。ふぞろいも見直したし主演した鞍馬天狗も今でもビデオが家にありますしね!

そして私は某大学の史学部に入学しました。もちろん戦国史を勉強したいと思って!(鼻息)
しかしここで私は思わぬ壁にぶち当たりました。というか知らなかった。

史学部って

史学部って

ひたすら古文書を読むだけなんですね(泣)


想像してたのはこんなんじゃなかったんだなぁ。もっとこう、川中島の合戦の陣営についてとか!そんなのを検証したりしたかったんだけどなぁ!

まぁ私がもっと頭が良ければそんなこと入学前に分かっていたことなんでしょうが(^-^;
数年学んでいくうちに自分で古文書を読み解いて自分で歴史を解釈する楽しみというものを知っていくようにはなりますがでもそんなことはこの時の私にはわかっちゃいませんでした。
挙句追い打ちをかけたのがゼミの先生のお言葉。

「はぁ?武田信玄やりたいぃ?お前みたいなテニス馬鹿にそんな難しいものができるわきゃないだろがぁ!」(注:当時体育会テニス部に所属していて試合やらで頻繁に公欠しており「おみゃーはテニスで卒業する気か?あぁん?」とまで言われた。テニス焼けした真っ黒な顔では反論できませんね☆)

武田信玄を紐解くには甲陽軍鑑という元武田家家臣だった高坂昌信が作らせたと言われている、有り体に言えば武田信玄マンセー話の本が必須なのですが、これがどうも嘘八百っぽくて歴史家の間では「信用ならん古文書」として有名なのだそうです。
そもそも古文書、とくにお家のために書かれた本は大抵そのお家を美化するためにありもしないことを大仰に書く傾向にあるらしいのですがこの本はそれがまた著しいんだそうな。
そんな本と当時の他の文献等を見比べた上で「これは真実」「これは虚偽」と見分けるのがそれはそれは難しいらしいです。だから私のよーなミーハーテニス馬鹿には難しいというわけなのです。(言えた。ゼェハァ)

じゃあ何を勉強すればいいんだよ!(怒)


と不貞腐れてさらにテニスに熱中することに。でもその後本当の歴史の楽しさを知ることになるわけですけれども。

とにかくそんなこんなで私の人生変えた武田信玄。
改めて第一話を観ました。
このOP聞くと鳥肌立つー!音楽も映像もとにかくカッコヨイ!ヽ(´▽`)/
そして当時の大河って本当に時代劇にお金かけていたのがわかるというか、意味のなさそうなセリフのない情景のシーンでさえも惜しみなく時間を割いているのがわかります。
今のドラマじゃ許されない気がしますね。今のドラマって状況を視聴者にわかってもらいたくて説明に走りがちだったりしますけど。
そして晴信様の凛々しいことheart01
このあとの我が子晴信の成長を1視聴者として見守ってゆきたいと存じます。